2014年8月10日日曜日

NO.10 コンクール最優秀賞受験記 舟浮に行く






コンクール最優秀賞受験記 NO.10 舟浮に行く

平成266月15日(日)曇り 雨

 今日は7時の便で舟浮へ。

 起きるのが大変。3時間くらいしか寝ていない。



7時の船で行く。朝が早くて辛い


 でも行く。これを逃したら今度、いつ行けるのか分からない。今回、舟浮の唄を多く唄った。石ぬ屏風 とか、殿様節 まるま盆山。だから舟浮は一度見ておきたいのだ。

 船で西表島 上原港に行く。1時間くらい。

 ここから、船会社の無料シャトルバスで白浜へ。そこから、船に乗って白浜に行くのであるが、バスの中に三線を忘れてしまうというドジ。

 しかし、電話をすると、バスが戻って来てくれた。船が入港すると同時にバスが戻って来た。三線が無事に戻ったのは良かった。



舟浮行きのフェリーの時刻表 白浜港にて

 船を操舵する人はあの池田卓さんのお父さんだそうだ。

 10分くらいでここから舟浮に到着。降りる時に写真を撮ろうと言ったら、今忙しいから、みたいに素っ気なく言われた。

 桟橋に池田卓さんが、自転車に乗って来ていた。でも行ってしまった。彼は舟浮に住んで、出張してライブ活動をしている。しっかりした考え方をしているではないか。







池田卓さんである




舟浮の様子




舟浮の防空壕 戦時中、基地があった




井戸である




ロシア バルチック艦隊を撃滅した東郷平八郎元帥の上陸の地




いだ浜に続くクバデサの道

 まず桟橋の近くの防空壕を見た。中は通れそうだが、危ないそうだ。蛇が居るかもしれないし。

 そのあと、歩いてイダ浜に行く。白い砂の綺麗な浜。池田卓さんのお父さんの話によると、昔はここにカップルが夜にずらっと並び愛を語っていたと言う。

 ここで少し唄って、ロケをした。舟浮の唄を唄った。まるま盆山、殿様節、石ぬ屏風。



いだ浜

 石ぶ屏風はどこにあるのか。どこに屏風の様な切り立った岩が何枚もあるのか。積丹半島の突端の賽の河原のような岩があるのか。どこにも見えないが。

 ちょっと集落に戻ると、殿様節の歌碑があった。

 かまどま の碑と書いてあった。

 カマドーマ が、殿様(彼氏のあだ名 自称)に会いたくて待ちくたびれて、膝が痛くなるほど抱いた松の木 というのもあった。
 唄の由来の場所を訪れるのも楽しいものだ。本当に勉強になるものだ。

 ここでも現地ロケした。殿様節 まるま盆山 石ぬ屏風。



殿様節の歌碑




カマドーマが殿様を恋しがって膝が痛くなるまで抱きついていた
松の木


 まあ、自分も思う存分ロケができたので、船着き場に行く。10時半の船。

 10時半ころになったので船着き場に移動すると、先の池田卓さんのお父さんがいて、「三線は持って歩くもんじゃないよ。弾くもんだよ」と仰る。

 ということで、桟橋の一角に椅子があったのでそこに座って弾くことになった。

 「舟浮」の唄をやりなさい。と言う注文まで付いた。

 殿様節は手が転けることが多いので、まるま盆山どうですか、と言うと、「まるま盆山は舟浮の曲じゃないよ」と言う。

 そこで、「石ぬ屏風」をやる。


池田卓さんのお父様に石ぬ屏風節を聴いていただいた

 お父様はじっと真剣に聴いてくださった。私の何度もここで弾いていたので、間違うこともなく唄えた。するとお父様 「ナイチャーにしては、けっこう上手い方だ」とのお言葉を賜り嬉しかった。

 それにしても、「石ぬ屏風」は八重山古典民謡の中でも難曲。それをさらりとこのような所で唄える人は、そんなにいるものではないだろう。まあ、コンクールの曲だと言うこともあり、弾けたのだが。

 近くのお客さんたちも拍手をしてくれた。

 いやさ、我ながら上手に唄えたのではないか。ここに来て見いだした自分なりの新しい唄い方。あまりこのような唄い方をする人はいないと思うが。新しい唄い方は正しいのでは。力も抜けているし、高い声も出るし、クライマックスも付けられる。三浦先生の教えてくださったこととも一致している。

 三線を弾いたら、すごくお父様が打ち解けてくれていろいろお話ししてくれた。石ぬ屏風というのは、島の崖を屏風に見立てたのだと。

 白浜から舟浮に来る船が、スッと出てくる所がある。これが、殿様節の「前崎の先」であると。ここから船の先がすっと出てくるのだと。





前崎の先

前崎の先から 殿様 舟の飛んでだらよ♪

 あと、まるま盆山もやってみろ と言うのでやると、すぐに「ちがう」と言われた。

 船にのっても殿様節をやってみろ、と言われてやった。

 石ぬ屏風 はこれだ、と教えてくださった。切り立った崖である。小生は写真を撮れなかった。



石ぬ屏風




池田卓さんのお父様と

 10時45分ころ白浜に戻って来た。

 ここから、シャトルバスで上原に行くのである。途中、まるま盆山の見えるところで停まってもらいまるま盆山をじっくり見て写真を撮った。

 11時30分ころには上原に到着。上原でまず、でんさー節の歌碑を見た。このようなものがあったのだ。ここででんさー節大会が行われると。

 次にスーパーに行った。 中を見た。 向かいに無人の販売所があり、そこで島唐辛子を買った。100円 安い。ちょっとだけ漬けてみようと思うのだ。

 でんさー食堂で八重山ソバとオリオンビールを飲んだ。



でんさ食堂 西表島 上原

 14時半の船なのでけっこう時間がある。

 小生は、桟橋の座る所で三線の練習。でんさー節だ。上原ででんさー節を練習するとは贅沢だ。手を忘れている所があるので、それを復旧したい。桟橋は雨よけがかかっており非常に声が反響して気分が良い。

 でんさー節 古見ぬ浦 を練習した。ここの唄である。土地の唄をその土地で練習すると、イメージが自然に付くであろうさ。霊感も宿ると良い。

 1時間半くらい練習した。幸い誰も来ないので好きに練習できた。1時半ころ、グラスボートが着いたので、辞めて、今度はさきのでんさー節の歌碑の所に行って現地ロケを敢行。

 このようなことも重要な楽しみである。

 
























2014年8月9日土曜日

コンクール最優秀賞受験記 No9 夜は飲んだ





石垣島に帰って来た。具志堅さんがいた


鳩間島から帰って、市民会館に行く。

 到着は18時過ぎ。三浦教室で同門のMさんが着物を着てベンチに座って最後の調整。

 ほどなく本番。

 彼女の前に、3人が撃沈。途中で棄権した。

 その前の人のも見ていたが棄権がすごく多い。やはり月夜浜は鬼門なのか。(課題曲は、月夜浜 と 小浜節)。今までで、一番棄権が多い。


 Mさんは無難に唄っていた。でも3人も棄権者が出ると、やはり会場の雰囲気がおかしくなる。いつ間違うのか、と言う不安げな雰囲気が会場を覆うのである。唄う人にとってはかなりの逆風になるかもしれない。

 最後の人。月夜浜を無難に唄い、小浜節も無難にこなし、しかし、最後の最後の後奏の最後で失敗。事実上止まってしまった。

 もったいない という声がフロアから上がった。このようなこともあるのだな、と。

 このあと、先生の所に集合と。

 小生は風呂に入って、さっぱりして、ちょっと泡盛とビールを独酌してから行く。この独酌が楽しいのである。

 先生のところで挨拶。一人ずつ。もう今日で帰る人もいるから。




先生のところで会合 兼 飲み会


 今回、声帯がやられ、声が出なくなり絶体絶命。しかし、唄い方を変えて唄い終えたのは大きな自信。

 先生の所で飲んでから、仲間に連絡すると、芭蕉風に皆でいると。

 行くと、すごい多くの人。混んでいる。

 優秀賞受験者の人たちが赤馬節 そのあと最優秀賞の受験者がやりなさい、という事になった。だれも出ないので小生が唄った。まるま盆山。



芭蕉風の大きなお面




優秀賞受検者が唄った




 
ここが終わって、最後はメガンテー。初めは満席で入れず。しかし、どこかないかと4人で探してた。一回りグルグルして、また、メガンテーに行くと空いていた。ここでおでんを食べた。

 今回自分は、土、日の昼が自分の出番も終わって時間が空いているので、いろいろエンジョイするつもりである。今日は鳩間島に行った。

 鳩間中森を見て、あと、千鳥節の舞台である浜を見た。これは三線人生にとって極めて有意義だったのではないかな。

 一度見るとまったく違う。一度見たことがあるのと、ないのとでは、天と地ほど違う。ゼロと一とではまったく違う。ゼロに何をかけてもゼロである。

 今回、鳩間島に行けたのは三線人生の上ですごく有意義だったと思う。