こんばんは 札幌の橋本です
こんなの来ました.
けっこう面白い観点です.
英語化,英語化,と世の中ウルサ過ぎる.
英語は大事だと思います.勉強すべき言語です.
しかし,社会英語公用語化は行き過ぎ.
どうもこれをやった企業から衰退しているように見えますね.
楽天なんか,調子に乗ってやったのは良いケド,良い話は聞かない.海外部門も少しずつ撤退です.
ユニクロ 業績が低迷しているそう.アパレルは調子が良さそうですが,ユニクロだけ一人負け.ここも英語化しているからね.
ホンダが,車内英語公用語化を発表したが,メリットのあることだとは思えないですね.ホンダももう終わりかな.
これをやると,細かいところに気が回らなくなるね.
小学校の英語教科.なんにも意味ないです.
バカな政府がやる,と言ったのだから,やるものは仕方がないが,之に歩調を合わせて,子供に英会話なんか習わせても何もならないですね.サッカーでも柔道でも,三線でもやった方が100倍増しですよ.
ちょっと,涼しいだろう
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『三橋貴明の「新」日本経済新聞』
2015/08/06
※配信解除は、最下部でできます。
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From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
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●●強制徴用で騒ぐ韓国が仕掛けた罠とは?
月刊三橋の今月号のテーマは、「歴史認識問題」です。
https://www.youtube.com/watch?v=vGLmma-WA14&feature=youtu.be
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おっはようございまーす(^_^)/
暑くなりましたね~。昨日から高校野球も始まって、夏本番という感じです。
5日付の読売新聞にマレーシアの長老政治家マハティール・モハマド氏のインタビューが掲載されていました。
(「崩れた「白人は無敵」…マハティール・元マレーシア首相」(『Yomiuri Online』、2015年8月6日配信)
http://www.yomiuri.co.jp/matome/sengo70/20150805-OYT8T50066.html
マハティール氏の次の言葉が印象的でした。
「日本が半島南部の「英領マラヤ」を急襲したのは41年12月8日。私は高校生だった。真っ先に思ったのは「日本は勝てない」ということだ。英国は強国だ。日本の真珠湾攻撃によって参戦する米国はさらに強い。英国の支配下にあった私たちの目には「白人は無敵」と映っていた。白人に対する劣等感があった。
ところが日本軍は半島を瞬く間に占領する。日本軍の侵攻を前にして英国軍は撤退した。それを私は目撃し、大いに驚いた。「白人が敗北することもある」。それを私は日本の侵攻で学んだ」。
英国の植民地下にあったマレーシアの人々は、白人に対して劣等感を抱いていた。決して非白人が、白人に勝つことはないと思っていた。それを打ち砕いたのが、非白人の日本のマレー半島への進攻だったのです。
このインタビューでは、マハティール氏は、日本統治下時代のマレーシアへのさまざまな複雑な思いを述べており、日本の統治を肯定してはいません。それでも英国人への劣等感を払拭した点は大いに認めているわけです。
植民地下にある人々が、宗主国に対して抱く文化的劣等感には強烈なものがあります。以前、本メルマガでも引用しましたが、ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴ氏は次のように書いていました。
グギ氏は、植民地体制下では一般に、宗主国の人間は自分たちの言語を、現地の言葉よりも価値の高い一種のステイタス・シンボルにしようとすると指摘します。その上で、次のように続けます。
「白人の言葉を学んだ者は誰もが、田舎者である大多数の者とその粗野な言葉を軽蔑しはじめる。選びとった言葉の思考方法と価値観を身につけることによって、彼は自分の母語の価値観から、すなわち大衆の言葉から疎外されるのである」
(グギ・ワ・ジオンゴ/宮本正興ほか訳『精神の非植民地化──アフリカ文学における言語の政治学(増補新版)』第三書館、2010年、188頁)。
拙著『英語化は愚民化』(集英社新書)でも触れましたが、日本社会の最近の英語偏重政策で一番危惧するのは、近い将来、多くの日本人が、「日本語や日本文化よりも、英語や英語文化のほうが高級で、偉い」と思い、日本語や日本文化に対する自信を根本から失ってしまわないだろうかという点です。
また、それに伴って、白人など英語を話す人々と比べて、日本人同士が互いに「俺たちはダメだよな~」と軽視し合ってしまわないだろうかということです。
戦争に敗れ、戦後の日本人は長く自信を失いました。特に、戦争に負けた米国に対して劣等感を抱きました。しかし、戦後、経済大国になるにつれ、自信を徐々に回復し、最近の若者に至っては、米国に対する文化的劣等感は、ほとんど持っていないといっても良いと思います。
例えば、映画の興行収入は、2006年ごろから邦画が洋画を上回るようになり、最近はその傾向が定着しています。
http://www.eiren.org/toukei/data.html
音楽でも、以前と比べ、洋楽の人気は落ちてきています。
オーディオ・レコード(CDやレコード)の売上金額は、1985年では、洋盤と邦盤の比率は38対62でしたが、2014年では16対84となり、邦盤が洋盤を圧倒するようになっています(日本レコード協会のHPの統計より)。
http://www.riaj.or.jp/data/
留学に関しても、米国への留学は、ここ15年ほどで急減しています。ピーク時の1997年は47073人の日本人が米国で学んでいたのですが、2013年では、19334人にまで減っています。およそ6割減です。
http://www.fulbright.jp/study/directory/basic.html
(リンク先のサイトで「アメリカの大学における留学生の動向 - B 日本人留学生の動向」のところを開くと、「日本人留学生数の変遷 1954-2013」というグラフに飛べます。そのグラフをご覧ください)。
もちろん、米国で学ぶ日本人留学生が減ったのは、経済的要因も大きいでしょう。米国の大学の学費は、近年急騰していますし、日本の実質賃金はやはり1997年ごろを境に低下し続けています。
ただ、中国などアジア諸国への留学はこの期間、増えていますし、英国以外のヨーロッパへの留学もほぼ横ばいです。米国や英国への留学のみが大きく減少しているのです。(英国へは、2002年に6202人だったのが、2012年には3633人へとやはり大幅減少。同期間中、フランスは微増(1439人→1661人)、ドイツは微減(2182人→1995人))。
経済的要因も大きいでしょうが、「高い金を払ってまで、米国や英国で学ぶ必要は特にない」と思う日本人が増えたこともまた事実だと思います。
最近の日本の若い世代は、英語や英語文化に対する特別な憧れは抱かなくなってきたと言っていいようです。
私は、このように英語や英語文化に特別な憧れを抱かなくなり、相対的に日本語や日本文化に自信を抱くようになった状態、また英語圏以外の文化にも関心が向くようになりつつある状態からは、結構、面白いものが生まれてくるのではないかと期待できると思います。
いま、大石久和氏の新刊『国土が日本人の謎を解く』(産経新聞社)を読んでいますが、欧米と日本の文化的相違が自然環境の違いと関連付けられてわかりやすく説明されており、なかなか面白いです。
例えば、次のようなことが書かれています。
ヨーロッパでは、自然災害が少ないため、環境は人が手を加えなければほとんど変化しない。それゆえ、人を物事の出発点として捉え、人は、動物や自然環境を支配する特別な存在であるとの見方が発展してきた。
他方、日本は自然災害が非常に多い。地震や洪水では、人も、他の動植物と一緒に否応なく被害に合い、ともに死んでしまう。そのため、人間だけが特別で、万物を支配しているといったような欧米的発想は生まれようがない。
本書では、他にも、欧米と比べた場合、あるいは中国と比べた場合の日本文化の特徴が様々述べられています。
私が専門とする政治理論でもそうですが、欧米の発想が「普遍」であり、模範だとみなされてきました。他の領域でも、その傾向は強かったと思います。
最近になって戦後の自信喪失傾向がようやく改められ、日本人が自前の発想から出発し、独自の考えや思想を生み出しやすい条件が整いつつあるように思います。
しかし、英語化です。拙著『英語化は愚民化』の冒頭で示したように、昨今、日本政府は、国民の税金を使いつつ、英語偏重の教育改革、社会改革を推進しています。
昨日もこんな記事が出ていました。
「高校に新科目「公共」…小学校英語、授業3倍に」(『読売新聞』2015年8月6日付)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20150806-OYT8T50048.html
米国に対するコンプレックスが弱まり、「従軍慰安婦」などの戦後マスコミの自虐史観も、戦後70年たってやっと改められつつあるのに、今度は、政府が、「英語や英語文化 > 日本語や日本文化」と思わせるような「改革」をわざわざ行おうとしている──。
迷走していますね。
「思考の戦後レジーム」からの脱却は許さんぞ!ということなのでしょうか。
暑いなか、ぐだぐだと失礼しますた<(_ _)>
『三橋貴明の「新」日本経済新聞』
2015/08/06
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From 施 光恒(せ・てるひさ)@九州大学
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●●強制徴用で騒ぐ韓国が仕掛けた罠とは?
月刊三橋の今月号のテーマは、「歴史認識問題」です。
https://www.youtube.com/watch?v=vGLmma-WA14&feature=youtu.be
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おっはようございまーす(^_^)/
暑くなりましたね~。昨日から高校野球も始まって、夏本番という感じです。
5日付の読売新聞にマレーシアの長老政治家マハティール・モハマド氏のインタビューが掲載されていました。
(「崩れた「白人は無敵」…マハティール・元マレーシア首相」(『Yomiuri Online』、2015年8月6日配信)
http://www.yomiuri.co.jp/matome/sengo70/20150805-OYT8T50066.html
マハティール氏の次の言葉が印象的でした。
「日本が半島南部の「英領マラヤ」を急襲したのは41年12月8日。私は高校生だった。真っ先に思ったのは「日本は勝てない」ということだ。英国は強国だ。日本の真珠湾攻撃によって参戦する米国はさらに強い。英国の支配下にあった私たちの目には「白人は無敵」と映っていた。白人に対する劣等感があった。
ところが日本軍は半島を瞬く間に占領する。日本軍の侵攻を前にして英国軍は撤退した。それを私は目撃し、大いに驚いた。「白人が敗北することもある」。それを私は日本の侵攻で学んだ」。
英国の植民地下にあったマレーシアの人々は、白人に対して劣等感を抱いていた。決して非白人が、白人に勝つことはないと思っていた。それを打ち砕いたのが、非白人の日本のマレー半島への進攻だったのです。
このインタビューでは、マハティール氏は、日本統治下時代のマレーシアへのさまざまな複雑な思いを述べており、日本の統治を肯定してはいません。それでも英国人への劣等感を払拭した点は大いに認めているわけです。
植民地下にある人々が、宗主国に対して抱く文化的劣等感には強烈なものがあります。以前、本メルマガでも引用しましたが、ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴ氏は次のように書いていました。
グギ氏は、植民地体制下では一般に、宗主国の人間は自分たちの言語を、現地の言葉よりも価値の高い一種のステイタス・シンボルにしようとすると指摘します。その上で、次のように続けます。
「白人の言葉を学んだ者は誰もが、田舎者である大多数の者とその粗野な言葉を軽蔑しはじめる。選びとった言葉の思考方法と価値観を身につけることによって、彼は自分の母語の価値観から、すなわち大衆の言葉から疎外されるのである」
(グギ・ワ・ジオンゴ/宮本正興ほか訳『精神の非植民地化──アフリカ文学における言語の政治学(増補新版)』第三書館、2010年、188頁)。
拙著『英語化は愚民化』(集英社新書)でも触れましたが、日本社会の最近の英語偏重政策で一番危惧するのは、近い将来、多くの日本人が、「日本語や日本文化よりも、英語や英語文化のほうが高級で、偉い」と思い、日本語や日本文化に対する自信を根本から失ってしまわないだろうかという点です。
また、それに伴って、白人など英語を話す人々と比べて、日本人同士が互いに「俺たちはダメだよな~」と軽視し合ってしまわないだろうかということです。
戦争に敗れ、戦後の日本人は長く自信を失いました。特に、戦争に負けた米国に対して劣等感を抱きました。しかし、戦後、経済大国になるにつれ、自信を徐々に回復し、最近の若者に至っては、米国に対する文化的劣等感は、ほとんど持っていないといっても良いと思います。
例えば、映画の興行収入は、2006年ごろから邦画が洋画を上回るようになり、最近はその傾向が定着しています。
http://www.eiren.org/toukei/data.html
音楽でも、以前と比べ、洋楽の人気は落ちてきています。
オーディオ・レコード(CDやレコード)の売上金額は、1985年では、洋盤と邦盤の比率は38対62でしたが、2014年では16対84となり、邦盤が洋盤を圧倒するようになっています(日本レコード協会のHPの統計より)。
http://www.riaj.or.jp/data/
留学に関しても、米国への留学は、ここ15年ほどで急減しています。ピーク時の1997年は47073人の日本人が米国で学んでいたのですが、2013年では、19334人にまで減っています。およそ6割減です。
http://www.fulbright.jp/study/directory/basic.html
(リンク先のサイトで「アメリカの大学における留学生の動向 - B 日本人留学生の動向」のところを開くと、「日本人留学生数の変遷 1954-2013」というグラフに飛べます。そのグラフをご覧ください)。
もちろん、米国で学ぶ日本人留学生が減ったのは、経済的要因も大きいでしょう。米国の大学の学費は、近年急騰していますし、日本の実質賃金はやはり1997年ごろを境に低下し続けています。
ただ、中国などアジア諸国への留学はこの期間、増えていますし、英国以外のヨーロッパへの留学もほぼ横ばいです。米国や英国への留学のみが大きく減少しているのです。(英国へは、2002年に6202人だったのが、2012年には3633人へとやはり大幅減少。同期間中、フランスは微増(1439人→1661人)、ドイツは微減(2182人→1995人))。
経済的要因も大きいでしょうが、「高い金を払ってまで、米国や英国で学ぶ必要は特にない」と思う日本人が増えたこともまた事実だと思います。
最近の日本の若い世代は、英語や英語文化に対する特別な憧れは抱かなくなってきたと言っていいようです。
私は、このように英語や英語文化に特別な憧れを抱かなくなり、相対的に日本語や日本文化に自信を抱くようになった状態、また英語圏以外の文化にも関心が向くようになりつつある状態からは、結構、面白いものが生まれてくるのではないかと期待できると思います。
いま、大石久和氏の新刊『国土が日本人の謎を解く』(産経新聞社)を読んでいますが、欧米と日本の文化的相違が自然環境の違いと関連付けられてわかりやすく説明されており、なかなか面白いです。
例えば、次のようなことが書かれています。
ヨーロッパでは、自然災害が少ないため、環境は人が手を加えなければほとんど変化しない。それゆえ、人を物事の出発点として捉え、人は、動物や自然環境を支配する特別な存在であるとの見方が発展してきた。
他方、日本は自然災害が非常に多い。地震や洪水では、人も、他の動植物と一緒に否応なく被害に合い、ともに死んでしまう。そのため、人間だけが特別で、万物を支配しているといったような欧米的発想は生まれようがない。
本書では、他にも、欧米と比べた場合、あるいは中国と比べた場合の日本文化の特徴が様々述べられています。
私が専門とする政治理論でもそうですが、欧米の発想が「普遍」であり、模範だとみなされてきました。他の領域でも、その傾向は強かったと思います。
最近になって戦後の自信喪失傾向がようやく改められ、日本人が自前の発想から出発し、独自の考えや思想を生み出しやすい条件が整いつつあるように思います。
しかし、英語化です。拙著『英語化は愚民化』の冒頭で示したように、昨今、日本政府は、国民の税金を使いつつ、英語偏重の教育改革、社会改革を推進しています。
昨日もこんな記事が出ていました。
「高校に新科目「公共」…小学校英語、授業3倍に」(『読売新聞』2015年8月6日付)
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20150806-OYT8T50048.html
米国に対するコンプレックスが弱まり、「従軍慰安婦」などの戦後マスコミの自虐史観も、戦後70年たってやっと改められつつあるのに、今度は、政府が、「英語や英語文化 > 日本語や日本文化」と思わせるような「改革」をわざわざ行おうとしている──。
迷走していますね。
「思考の戦後レジーム」からの脱却は許さんぞ!ということなのでしょうか。
暑いなか、ぐだぐだと失礼しますた<(_ _)>
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