2014年9月24日水曜日

とぅばらーま を習った


平成269月18日(木)雨
 
 今日は、岩見沢に行って、三線をった(ならった)。

 車で近隣のK病院まで行った。これに自転車を載せていた。雨が降りそうであったからである。

 近くの、ザ野菜に寄って、南蛮を買った。中辛のものがあった。


 K病院で往診をした後、自転車を降ろして、札幌駅へ。14:30に出発。まあ、20分くらいで行けた。

 今日は、まず、多良間ユンタをやった。

 たくさんやったら手まで覚えてしまった。前も一度覚えたから。歌詞もきちんと覚えると良いな。

 慶田盛のくんちぇーまユンタを次にやった。これも前にやったことがあるな。これも沢山やったら、手まで覚えてしまった。歌詞もきちんと覚えようと思う。

 最後に、とぅばらーま 教えて下さい、と恐る恐る申し上げたところ、ご快諾を戴き、教えてくださった。トゥバラーマ は、八重山古典民謡で最高峰の曲。練習するのも少し憚れる曲。でも、自分もかなりやってきた。八重山古典民謡コンクールで優秀賞まで取り、最優秀賞も受けた。少なくても とぅばらーま を練習する資格はあるはずだ。

 三浦先生は、ナークニ・とぅばらーま大会で優勝している方。唄はぴか一だ。このような先生に とぅばらーま を習うことが出来るのは幸せだ。

 懇切丁寧に1時間ほど手取り足取り教えてくださった。やはり習ってみないと分からないものです。変な癖がつくと本当に大変だし、最初にしっかりと習わなくては、と思っている。故に、とぅばらーま も自分で練習したことはあまりないのです。癖がつくといやだからね。

 きょうは 有意義な稽古であった。

 今日はK病院まで車で来たので、テビチおでんを食べて帰った。

 帰りにヨドバシに寄り、iPhone6の実機がないか見てみたが、なかった。CD-ROMを一杯買って帰った。1000円であるが。

 

 

2014年9月16日火曜日

今日のお稽古 網張の目高蟹ユンタ をやって楽しかった




平成269月13日(土)晴れ

 今日は、半ドン。

 仕事を終えて、家に帰ってご飯を食べ、岩見沢に三線に行こうと思ったら、三線を医院に置いて来てしかも、医院の鍵がないことに気がついた。

 結局すったもんだになり鍵を何とか手に入れてそして岩見沢へ行く。結局、自転車で行こうと思っていたが、時間がなくなり、車で行かざるを得なくなった。

 3時40分ころ到着。 沖縄本島出身の小屋さんが来ていた。安里屋ユンタをやった。

 次に、ユンタしょうら をやった。

 次に、アンパルの目高蟹ユンタをやった。先生が三線を弾きながら唄い、私が手拍子で唄だけ唄って、楽しかった。交互に唄い、ユンタらしくやった。少しはユンタらしくやれたか。八重山らしくやれたか。ユンタは手拍子だけの方が良い様だ。

 小屋さんは、沖縄本島の人だが、「八重山の人はすごい」と感動していた。八重山民謡 なかなか奥深いものがある、とは思い、力を入れてやっている。しかし、この小屋さんの感覚は沖縄人ならではのものだな。なかなかこの感覚までは、北海道人の私には分からない、と言うのが正直な所。

 お稽古が終わった後、小屋さんと、今日は岩見沢でお祭りがあったので行ってみる。昔と変わらないいろいろなものがあって面白かった。子供らの生き生きとした表情が良い。





 四つ路の真ん中に櫓が組まれていた。そしてその横で恐竜が動いていた。

 先生のお店で、おでんを食べて、パッションフルーツジュースを飲んだ。

 お父さんとお母さんとおばあちゃんと孫の4人組が来ていて、おばあちゃんに話しかけられた。

 お祭りの話をしたら、孫(4歳くらい)が、非常に関心を持っていた。「お祭り行きたい」と両親に言っていたが、今日は行かないようであった。
 
 また、愚生も面白そうに言ったからね。恐竜がいたとか、櫓が組まれていて、誰かが太鼓を叩くはずだ、とか。出店も一杯あるとか。








 先生のお店を7時頃お暇して、またお祭りの会場に行く。

 四つ字の櫓のところで、お餅つきをやっていた。大きな杵で搗くのである。

 広島のお好み焼きが美味しそうででかかったので食べてみた。500円。美味しかった。

 キャベツが一杯あって良い。しかし、このキャベツがどこからのものかが、問題だ。日本製かな?  中国製かな?  やっぱりこのような屋台だから、中国野菜かな?

 産地を明示していなかったな。当然だが。この様な所で食べるのは、これまた、美味しいのだが、このような時代になりました。食の安全を得るのが本当に難しくなりました。漂白剤と腐らない様にホルマリンにつけられた野菜と言うのも、あちらさんのものは珍しくないようです。日本に入る時の検疫体勢など、不十分なものです。ホントに難しい時代です。まあ、家で食べるか、馴染みの信用できるお店で食べるのが良いのかな。

 近所でも、ある居酒屋の店主が中国野菜を取り扱い安いことで有名な野菜屋から大量の野菜を買い込んで行くのを何度も目にしている。これってどうなのかな?

 まあ、お祭りを見て車で帰った。お祭りは楽しかったがいろいろ考えさせられる。

 家で、今日は、あがろーざのイメージ画像を作り上げた。3時までかかった。
























 

2014年9月12日金曜日

避難勧告 とは?


平成269月11日(木)雨 曇り

 昨日の夜から結構雨が降り、雷もウルサかった。

 今朝、起きると、職員サンから電話あり、子供らの学校が休校になったと。もう一人の人に来てもらうことに。

 今日は朝は5時から起きていた。目が開いたのである。
 
 何気なくヤフーを見ると、札幌市に避難勧告が出されているではないか。

 しかし、西の方は晴れている。雨も昨日の夜は降ったが、今は止んでいる。なぜ、という感じ。汽車は? と思い見てみると、汽車も止まっている。

 取り合えず、病院に行ってみる。体操の患者さんは来ていた。マイバスケットも普通にやっているし、バスも間が抜けた様に普通に走っている。しかし、テレビを見ると豊平川も増水しているし、マンホールから水が溢れている所もあるという。

 となりのM内科医院はどうするのか、と思い行くと、通常通りやると言う。

 どうするかと考えたが、いきなり辞めてしまう訳にもいかない。そこで、10時受付終了 10時半終了とした。今日はあまり患者さんが来なかった。

 汽車も動いていないので、今日、岩見沢にお稽古に行く予定であったが、行けなくなったことを先生に連絡した。

 気が抜けて家に帰って、しばらくして、お昼のお弁当を食べる。

 そのあと、モスバーガーで混合診療の記述を少しやった。というか、かなりできた。

 そして、K病院に往診がてら行って、B型肝炎のワクチンを打ってもらった。いろいろお話をして帰る。

 家の庭でタンポポを取った。草むしりである。かなり生えている。しばらく放っておいたから。

 家でご飯を食し、寝る。

 お風呂に入って、今日は、八重山民謡の調べ をやった。

 今日は黒島の地図を作った。

 あと、高那の浜の写真を作り合えると完璧だ。

 小浜島の伝承(小浜島はなぜクモーマと呼ばれているのか? 大岳はどのようにできたか?)や、クヤマが間引かれそうになった子供を引き取って育てたとか、そのようなお話を付け足した。

 今日の三線の練習


 しゅうら節 覚えたい。

 くいがま だいぶ慣れた。

 石ぬ屏風 忘れない様に練習。覚えているぞ。

 繁昌節 とうまた節

 久場山越路節

 をやった。30分くらいか。

 南蛮を今日、買ったので焼いて食べた。美味しかった。新鮮だ。

 今日は何かボワボワした一日となった。

 
 

2014年9月11日木曜日

夕暮れのまるま盆山 の 絵




平成269月10日(水)くもり

 今日は交通事故の人で濃い人が多かったな。あまり言うとだめなのかな。仁弱に思われる。

 今日は、夕暮れのまるま盆山の絵を描いたよ。

 まるま盆山はやはり、夕暮れだろう。

 

 三線は、くいぬぱな(早調子)の暗譜に勤しんでいる。

 朝はそればかり。あと、くいがま節 これは、たらくじ の とーすぃ。

 けっこう良い感じの曲だ。これも覚えたい。

 くいぬぱな けっこう覚えた。あと少し。少しずつ前進。

 とぅばらーま やりたい。

2014年9月7日日曜日

速攻、ゴミ箱は辛いな  八重山古典民謡の調べ



平成269 5日(金)晴れ

 今日は温かい日。

 今日は荒まさに行った。武田と高村とで行った。

 酒を飲んで柔軟体操をしたら。膝を伸ばして足を揃えて体を前屈させて手がつま先に付いた。これは喜ばしいことだ。もともと私は体が固いのだ。小学生のときから固いのだ。

 愚生の作った、八重山古典民謡の調べ(カラー版) を二人にお見せしたところ、非常に好評で、買いたい、と真顔で言われた。まあ、できたら、あげるつもりだ。あげても速攻、雑紙ゴミ行き、という人は一番困る。

 全部で500部作るつもりだ。印刷代の関係からこの辺が一番お得感がある。
 知り合い、や、自分が宴会で唄う時にちょっと配ると良いかも。まあ、自分が唄うのは知り合いの前だけだし。でも速攻、ゴミ箱は辛いな

 唄の歌詞とその唄の説明を書いてみた。

 色々な本やホームページを参考にして書いてみた。

 でも、結局これって、あれだべ。出所は、喜舎場永珣先生だべ。



あらまさ の タコ刺し







 喜舎場永珣 きしゃば-えいじゅん 

 
1885-1972 明治-昭和時代郷土史家,民俗学者
明治18年7月15日生まれ。出身地沖縄県で小学校教師をつとめる。明治39年から八重山諸島歴史,民俗,古謡の研究に専心伊波普猷(いは-ふゆう),柳田国男親交をもつ。昭和46年「八重山古謡」で柳田国男賞。昭和47年4月2日死去。86歳。沖縄県師範卒。著作はほかに「八重山民俗誌」など。


 まあ、沖縄もいろいろ辛い歴史があるわけさ。

 戦争でヒドい目にあって、そのあとはアメリカ領に。

 アメリカなんて、沖縄の人の暮らしのことなど、何も考えなかったのかもしれない。一番大事なのは、支配されると支配者の価値観が押し付けられてしまう。当時のアメリカが八重山古典民謡に関心があったか、と言えばなかったのであろう。

 その環境下におかれると人間というものはそれに従ってしまう、と言うのが、歴史的に一般に見られることである。いろいろな手記を読んでみると当時の八重山の人たちも自分達の唄にさほど価値を見いだしてはいなかったようだ。

 仕事しながら好きな時に唄うべ、という感じ。でも、こったら唄どうでもいいべ、という感じ。

 でもすごかったみたいだね。

 八重山の田園を歩くと、そこここから、唄が聴こえて来たという。仕事をしながら唄ってるわけだ。女性の声がすごかったと言うね。本当に響く。超音波光線みたいに遠達性のある声というか。なるほど、唄の島、詩の島 と言われるわけだ。

 このことに価値を見いだしたのが、喜舎場永珣先生というわけだ。

 彼は、その当時、現地調査をして、八重山民謡の生い立ちを古老から聴いて歩いたのである。そんなことをしたのは、彼しかいなかった。だから八重山民謡の解釈は彼のものしかないと思う。

 それに対して、若干の自分の意見をいれたものが今、あちこちででまわっているわけだが、根元は皆、同じなんじゃないかな。喜舎場永珣先生である。

 このような人が一人でも居て、その人が真摯に取り組み、それを応援する姿勢が社会に少しでもあれば、文化は存続していくものなのかもしれないな。少なくても、アメリカさんの場合は、一応言論の自由を建前としているし、喜舎場永珣先生の活動が、反社会的なものとは見なされていなかった。
 それで十分だ。

 八重山の唄は立派に存続したと言えるし、その力は日本全土に拡がっている。

 ひとつ残念なのは、作業の機械化が進み、昔のように八重山郡下に木霊のように響き渡っていたと言われている唄声を我々が聴くことがもう出来ないことかな。でもこれは仕方がなかろう。 



とんかつ





ブタ串







たらくじ くいがま を一連で唄えると ドーン






 札幌駅 特急カムイが来ました



平成269月4日(木)雨

 今日は雨。

 今日は、半ドン。終わってから、家で昼寝をした。

 13:45に起きて、往診へ。自分の車で。

 往診する。そしてタクシーで往診先から地下鉄中島公園駅まで行く。

 そこから1442の地下鉄に乗って、札幌駅へ行く。

 札幌駅から15時の汽車に乗って岩見沢へ行く。



札幌駅のプラットホーム






豊平川を列車は渡る




夕張川を列車は渡る

 1526に岩見沢到着。岩見沢も雨。

 今日のお稽古。くいぬぱな 早調子。これはやはり暗譜をしなければどうにもならないようだ。

 けっこうしごかれた。絶対にモノにしなければ。この曲は。

 次に上原ぬ島節 の2番。これは2年前の発表会でやったきりである。今年、の発表会も優秀賞は 上原 でんさ のようだ。

 次にくらぬぱな 1、2番をするが、まるでダメ。タラくじとごっちゃになる。

 先生も仕方が無いな、という風になりくいがま節をやった。

 たらくじ のとーすぃ。面白い曲だ。物語性もある。たらくじで、姪の首飾りを拾ったたらくじが、皆に、姪のものとは知らないでオレの愛人だ、と言って自慢したたらくじ という男が、姪と姦通したのか、ということになり、その噂が沖縄まで広がり、とんでもないことになり「許してくれー」と叫ぶ唄。
 けっこう面白い曲だ。これもしっかり勉強したい。

 たらくじ くいがま を一連で唄えるとすごいな ドーンっという奴だ。
 
 1816の汽車で帰る。



岩見沢駅から帰る 18:16で

 ヨドバシでAirMacとモニターを繫ぐHDMIのケーブルを買い直した。前に買ったのは3mのもの。3mも要らない。2mのを買う。今度はうまくいくかな。

 札幌駅で砂糖をたくさんマブしたあんぱんを買った。そして中島公園まで行って、そこから歩きで先の往診先まで。これがけっこう辛い。

 先ほど買ったパンを食べながら行った。

 車に乗って家に帰る。8時になった。やはり行って帰ってくると6時間かかる。



岩見沢駅で列車を待つ。