平成26年6月15日(日)曇り 雨
今日は7時の便で舟浮へ。
7時の船で行く。朝が早くて辛い
でも行く。これを逃したら今度、いつ行けるのか分からない。今回、舟浮の唄を多く唄った。石ぬ屏風 とか、殿様節 まるま盆山。だから舟浮は一度見ておきたいのだ。
船で西表島 上原港に行く。1時間くらい。
ここから、船会社の無料シャトルバスで白浜へ。そこから、船に乗って白浜に行くのであるが、バスの中に三線を忘れてしまうというドジ。
船を操舵する人はあの池田卓さんのお父さんだそうだ。
10分くらいでここから舟浮に到着。降りる時に写真を撮ろうと言ったら、今忙しいから、みたいに素っ気なく言われた。
桟橋に池田卓さんが、自転車に乗って来ていた。でも行ってしまった。彼は舟浮に住んで、出張してライブ活動をしている。しっかりした考え方をしているではないか。
池田卓さんである
舟浮の様子
舟浮の防空壕 戦時中、基地があった
井戸である
ロシア バルチック艦隊を撃滅した東郷平八郎元帥の上陸の地
いだ浜に続くクバデサの道
まず桟橋の近くの防空壕を見た。中は通れそうだが、危ないそうだ。蛇が居るかもしれないし。
そのあと、歩いてイダ浜に行く。白い砂の綺麗な浜。池田卓さんのお父さんの話によると、昔はここにカップルが夜にずらっと並び愛を語っていたと言う。
石ぶ屏風はどこにあるのか。どこに屏風の様な切り立った岩が何枚もあるのか。積丹半島の突端の賽の河原のような岩があるのか。どこにも見えないが。
ちょっと集落に戻ると、殿様節の歌碑があった。
かまどま の碑と書いてあった。
カマドーマ が、殿様(彼氏のあだ名 自称)に会いたくて待ちくたびれて、膝が痛くなるほど抱いた松の木 というのもあった。
唄の由来の場所を訪れるのも楽しいものだ。本当に勉強になるものだ。
まあ、自分も思う存分ロケができたので、船着き場に行く。10時半の船。
10時半ころになったので船着き場に移動すると、先の池田卓さんのお父さんがいて、「三線は持って歩くもんじゃないよ。弾くもんだよ」と仰る。
ということで、桟橋の一角に椅子があったのでそこに座って弾くことになった。
「舟浮」の唄をやりなさい。と言う注文まで付いた。
殿様節は手が転けることが多いので、まるま盆山どうですか、と言うと、「まるま盆山は舟浮の曲じゃないよ」と言う。
お父様はじっと真剣に聴いてくださった。私の何度もここで弾いていたので、間違うこともなく唄えた。するとお父様 「ナイチャーにしては、けっこう上手い方だ」とのお言葉を賜り嬉しかった。
それにしても、「石ぬ屏風」は八重山古典民謡の中でも難曲。それをさらりとこのような所で唄える人は、そんなにいるものではないだろう。まあ、コンクールの曲だと言うこともあり、弾けたのだが。
近くのお客さんたちも拍手をしてくれた。
いやさ、我ながら上手に唄えたのではないか。ここに来て見いだした自分なりの新しい唄い方。あまりこのような唄い方をする人はいないと思うが。新しい唄い方は正しいのでは。力も抜けているし、高い声も出るし、クライマックスも付けられる。三浦先生の教えてくださったこととも一致している。
三線を弾いたら、すごくお父様が打ち解けてくれていろいろお話ししてくれた。石ぬ屏風というのは、島の崖を屏風に見立てたのだと。
あと、まるま盆山もやってみろ と言うのでやると、すぐに「ちがう」と言われた。
船にのっても殿様節をやってみろ、と言われてやった。
ここから、シャトルバスで上原に行くのである。途中、まるま盆山の見えるところで停まってもらいまるま盆山をじっくり見て写真を撮った。
11時30分ころには上原に到着。上原でまず、でんさー節の歌碑を見た。このようなものがあったのだ。ここででんさー節大会が行われると。
次にスーパーに行った。 中を見た。 向かいに無人の販売所があり、そこで島唐辛子を買った。100円 安い。ちょっとだけ漬けてみようと思うのだ。
14時半の船なのでけっこう時間がある。
小生は、桟橋の座る所で三線の練習。でんさー節だ。上原ででんさー節を練習するとは贅沢だ。手を忘れている所があるので、それを復旧したい。桟橋は雨よけがかかっており非常に声が反響して気分が良い。
でんさー節 古見ぬ浦 を練習した。ここの唄である。土地の唄をその土地で練習すると、イメージが自然に付くであろうさ。霊感も宿ると良い。
1時間半くらい練習した。幸い誰も来ないので好きに練習できた。1時半ころ、グラスボートが着いたので、辞めて、今度はさきのでんさー節の歌碑の所に行って現地ロケを敢行。
このようなことも重要な楽しみである。
14時半の船でかえる。
でんさ節の歌碑 西表島 上原
コンクール最優秀賞受験 石垣島にて もくじ
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