2013年11月12日火曜日

第8話 学生時代を探訪する




大通り公園の秋

平成2511 10日(日)の話

 今日は、9時半ころ起きた。

 ちょっと、しょんかね と 崎山節 を弾きながら軽く唄って、暗譜に努めた。

 宮君が11時に来る予定。

 昨日の壮行会でけっこう食べたので、お腹はすいていない。朝はみそ汁だけ飲んだ。

 宮君が11:20ころ来て、いろいろ話をしてコーヒーを飲んで、昨日の残りのオードブルを食べた。

 今日はかつて住んでいた、北34条の方面を見に行った。このようなのも当時を知っている人と見に行くと面白い。一人で見てもあまり面白いものではない。

 私は函館の高校を昭和54年に卒業し、札幌に出て来た。その時、住んでいたのがこの北30条付近。その近くに住んでいたのが、宮君である。




旧唐沢の下宿(上)とそこから東の方を見た(下)






 まずは、北31条西4丁目の旧唐沢邸(友人 北大理II)を見に行った。当時の下宿屋は跡形も無くなくなったが、アパートが建っていた。旧唐沢邸の正確な位置はみやにし君と真剣な議論がなされたが、特定はできなかった。

 次に更に東に行き、北31条東1丁目の旧宮邸である、しずか荘を見た。ここもアパートになっていた。ここのアパートの隣に大家さんのNさんの家があり、それは今もあったので、容易に場所が特定できた。





旧しずか荘跡(宮君の下宿)(上)とそこから東を見たところ(下)

 さらに東に行き、北31条東2丁目の私の住んでいた紀美荘を見た。ここもアパートになっていた。近くにマンション藤 と言う名のアパートがあり、ここは昔の名前のままである。このアパート自体は改装はした模様。きれいである。
 旧紀美荘の場所も特定した。



小生の住んでいた紀美荘跡

 次に、同じ高校出身の中谷君(北大理I)の住んでいた、たものき荘を見る。北24条東2丁目。たものき公園に接してあった。ここもアパートになっていた。



中谷君の住んでいたたものき荘跡 と たものき公園

 結局、我々は、昔は玄関共同、トイレ共同、6畳か4畳半で炊事場の付いた所に住んでいた訳だ。それが今は玄関別、トイレ、風呂付きのアパートになったという訳だ。日本が当時より豊かになったことを表しているのだろうか。

 唐沢が引っ越して住んだ北34条西8丁目も見に行くと、向かいにあったセブンイレブンは領地を拡大し、駐車場が一杯あったし、その向いの旧唐沢邸は、黒い一軒家になっていた。





唐沢君が新たに引っ越したアパートの跡 黒い民家になっている(上)

その向かいのセブンイレブン(下)

 これらを見てから、昔よく食べに行った、北24条西4丁目の宝来に行った。かなり混んでいた。昼飯時か。ちょっと過ぎているが混んでいた。

 前のヒゲのマスターは体調を壊しているらしく、今は朝の仕込みだけをやっていると。すっかり、息子の代になったようだ。昭和52年開設。「札幌で2番目に美味しい中華料理屋さん」というキャッチフレーズの店である。

 C 定食を食べた。昔ながらの味である。飯の盛りがすごい。

 かつての中華丼の大盛りはなくなった。学生も昔ほど食べないそうだ。

 宮君も痛く喜んでいた。なんと、意外な事に I 先生(清田区で内科医院を開設)がいた。2ヶ月に一回ここで食べていると。ずいぶんと通っているものだ。彼も学生時代、ここでよく食べたのだろう。











宝来C定食



 ここを出て、前に久保(北大理II)と笠井(北大理IIが住んでいたアパートに行く。ここは現況で残っていた。商店が目印だ。私もみやにし君もテレビを持っていなかったので、よくここで、深夜テレビの「真夜中のキス」を見たものだ。

 最後に、小生が紀美荘から引っ越しして移った高栄荘(北31条西5丁目)を見に行った。ここも光栄アパートになっていた。

 ここまで見て、宮君を札幌駅まで送り帰る。

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