今日は、9時半ころ起きた。
ちょっと、しょんかね と 崎山節 を弾きながら軽く唄って、暗譜に努めた。
宮君が11時に来る予定。
昨日の壮行会でけっこう食べたので、お腹はすいていない。朝はみそ汁だけ飲んだ。
宮君が11:20ころ来て、いろいろ話をしてコーヒーを飲んで、昨日の残りのオードブルを食べた。
今日はかつて住んでいた、北34条の方面を見に行った。このようなのも当時を知っている人と見に行くと面白い。一人で見てもあまり面白いものではない。
まずは、北31条西4丁目の旧唐沢邸(友人 北大理II)を見に行った。当時の下宿屋は跡形も無くなくなったが、アパートが建っていた。旧唐沢邸の正確な位置はみやにし君と真剣な議論がなされたが、特定はできなかった。
次に更に東に行き、北31条東1丁目の旧宮邸である、しずか荘を見た。ここもアパートになっていた。ここのアパートの隣に大家さんのNさんの家があり、それは今もあったので、容易に場所が特定できた。
旧しずか荘跡(宮君の下宿)(上)とそこから東を見たところ(下)
さらに東に行き、北31条東2丁目の私の住んでいた紀美荘を見た。ここもアパートになっていた。近くにマンション藤 と言う名のアパートがあり、ここは昔の名前のままである。このアパート自体は改装はした模様。きれいである。
結局、我々は、昔は玄関共同、トイレ共同、6畳か4畳半で炊事場の付いた所に住んでいた訳だ。それが今は玄関別、トイレ、風呂付きのアパートになったという訳だ。日本が当時より豊かになったことを表しているのだろうか。
唐沢が引っ越して住んだ北34条西8丁目も見に行くと、向かいにあったセブンイレブンは領地を拡大し、駐車場が一杯あったし、その向いの旧唐沢邸は、黒い一軒家になっていた。
唐沢君が新たに引っ越したアパートの跡 黒い民家になっている(上)
その向かいのセブンイレブン(下)
これらを見てから、昔よく食べに行った、北24条西4丁目の宝来に行った。かなり混んでいた。昼飯時か。ちょっと過ぎているが混んでいた。
前のヒゲのマスターは体調を壊しているらしく、今は朝の仕込みだけをやっていると。すっかり、息子の代になったようだ。昭和52年開設。「札幌で2番目に美味しい中華料理屋さん」というキャッチフレーズの店である。
C 定食を食べた。昔ながらの味である。飯の盛りがすごい。
かつての中華丼の大盛りはなくなった。学生も昔ほど食べないそうだ。
ここを出て、前に久保(北大理II)と笠井(北大理II)が住んでいたアパートに行く。ここは現況で残っていた。商店が目印だ。私もみやにし君もテレビを持っていなかったので、よくここで、深夜テレビの「真夜中のキス」を見たものだ。
最後に、小生が紀美荘から引っ越しして移った高栄荘(北31条西5丁目)を見に行った。ここも光栄アパートになっていた。
ここまで見て、宮君を札幌駅まで送り帰る。
帰って昼寝をする。夜は三線の練習をきっとするだろう(第7話に続く)。
記 橋本英樹
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