この、金曜、土曜と飲み会が続いて忙しく、殆ど三線らしい三線が出来ませんでした。
今日は、知り合いのお琴の発表会を見に行きました。楽しかったです。
しかし、それ以外の時間がぐったりで寝ていました。
体の調子も悪いのかもしれない。
まあ、それはさておき、今日は衝撃的な話題を取り上げてみた。
スマホを使われている人は多いと思うし、どうも中毒になっている人も多いと思う。
それで、三線の時間が削られているとしたら、ちょっと悲しいですよね。
まあ、私の年代になれば、自分がスマホ中毒になっても、あとは野となれ山となれ、と言う気分になれるのですが、若い人は悲しいですよ。若い人の多くは気が付いていないと思うが、「若い」というだけで、すごく大きなアドバンテージなんです。
その時に、スマホで三線の時間を潰していたらもったいないですよ。
もっと勿体ないのが、スマホ中毒になった子供らです。いい時期を潰してしまう。
このようなことをどうすれば防ぐ事が出来るのか。その緊急提言です。
小学高学年以上のスマホ年頃(!)の子供を持つ親御さんは必見記事です。
それでは下記。
汽車の車窓から 江別付近 (平成25年11月14日 撮影)
私の子(ふぁ)の通う中学で、アンケートにより、一日どのくらいの時間、スマホを使っているかを調査したそうだ。
すると、驚くなかれ、平均5時間という結果が出た。すごい時間をスマホに費やしているものだと、先生方も親達も驚かされた。
中学、高校時代のような人生の最も実りの多いこの時期に、こんなにスマホみたいなものに時間を費やすということは、人生をフイにするようなものであろう。これは間違いの無いことである。春にスマホばかりをして時間を浪費し、種を蒔かなかった者が、秋に刈り入れをすることができようか。
さて、このような痛ましい事例をどう防ぐのか、と言うのが、この小論のテーマである。
もう皆様もお気付きだろうが、スマホには中毒性がある。これをしっかりと認識しなくてはいけない。
インターネットにも中毒性がないわけではないし、他ならぬ私もその中毒患者かもしれない。しかし、私がインターネットを使うことのできるのは、家にいる時と、院長室にいるときにパソコンに向かっている時だけである。外にいる時、飲み会など、あとトイレの中、布団の中では、自分はネットから遮断されている。
しかし、スマホを持っている人の中には、お見かけしていると、四六時中、スマホをいじっている人も珍しくない。飲み会の時も、人とランチをしているときも、トイレでも布団に入った時など、ちょっとした折にスマホをいじっている。そのような光景は現代では珍しくはないだろう。
一体、彼らは何を見ているのであろう。ニュース、天気等から始まり、メールの確認、いつも見ているブログ、掲示板などであろう。
さらに、彼らに悲劇をもたらしているのがFacebook, TwitterやLineなどのような、いわゆる、SNS (Social Network Service)というものである。
Facebookが世に出て来た頃、これで、100人以上、「友達」(あくまでも、Facebook上での)がいたら、すごい人、という感じに言われたことがあった。100人以上「友達」がいたら、社交性のある人と言う事で、就職に有利、と言われた事さえあった。
1年くらい前の事である。Facebookをやったことのある方ならご存知と思うが、そのようなことは今や何もスゴいことではない。あの手のものなど、いくらでも「友達」を増やせられるのである。今や、100人どころか、500 - 600人くらい「友達」のいる人などそこら中にゴロゴロしている。もちろんこんなものが就職に有利な訳ではないし、何かの価値を人様から認められるものでもない。
例えば、自分が昼ご飯に食べたものを写真と簡単な文章をつけてFacebookに出すと、すかさず、「友達」から「いいね」が入る。これを見ると、何か嬉しい気分になる。「いいね」は単に挨拶みたいなものなのだが、何か人に認められたような気分になる。
すると、こちらもお返しに、「いいね」をくれた人のFacebookに行って、その人の他愛のない記事に「いいね」を入れる。これもひとつの現代の新しいコミュニケーションなのである。
さて、私もFacebookをやっているが、極めて消極的、限定的にやっているので、「友達」は20人ほどしかいない。それでも、何か記事を載せると、1−2件「いいね」が入る。
これが、「友達」600人くらいの人だと、「こんなランチをした」と言うくだらない記事でさえ、すかさず、50−60件の「いいね」が入る。
このような人は、そのくらいの数の人たちのFacebookに進み、お返しの「いいね」をしているはずである。これだけでも結構な時間がかかるだろう。その他、Lineなど別のSNSをやっていたら、そちらでも同じ様なことをしなければならない。
これは何も創作的なこともないし、自分を高める事も一切ない。世の中であとあと認められる事もない、ただのつまらない単純作業である。通常のこのような単純作業なら、人は飽きてしまうものなのだが、このスマホと言うもののすごい所は、皆が嬉々として、この単純作業を延々と行っているということだ。
このような作業を我を忘れて嬉々として行っている大人達も、自分の学童期の子供らがこのようなことに、一日何時間も使っていたら、きっと、そのことを嘆くに違いない。
しかし、哀れなるかな、親達よ。その心配は当たっているのだ。
スマホを持っている子供らのほとんどが、スマホには強力な中毒性がある故に、このようなくだらない単純作業に狂奔し、自分の青春を喜んで潰している。
子供をそうさせないためには、親はどうしたら良いのか。私の子供の通う中学でもそのことがホットな話題となった。
私の家内が、「私の子供はガラケーしか持っていないので、そのようなことはしていない。親へのメールのみである」と言うと、他の親達から羨望の眼差しで見られたと言う。
確かにそうだ。というか、考えてみると、我々親はどちらもスマホを持っていない。私の家内はITが苦手であるし、私は逆にスマホみたいな、所謂ITガジェットは大好きなのだが、今のガラケーが壊れていないし使えるので、古いガラケーをそのまま使っている。親が使わなければ子供も使わないものなのだろうか。
あと、昔、中学や高校では、トイレで煙草を吸ったりして粋がっていた不良グループがいたものだ。今は殆どいないと言う。まあ、現在は、昔では考えられないくらい喫煙者が嫌厭されている。学校でそのようなことをしても、今やバカとしか見られない。また、生徒の喫煙がなくなった大きな理由として、先生達が職員室を禁煙にした、と言うことがある。つまり学校中が禁煙になったのである。こんな所で煙草を吸ったら一発でバレてしまう。大人が禁煙したら、忽ち、学校での生徒の喫煙がなくなったのである。
スマホに夢中な幼い兄弟
結論である。子供をスマホ中毒にさせないためにはどうしたら良いのか。
子供にスマホを与えない事である。
そのためには、子供が小学校の高学年にでもなったら、自分らもスマホを捨て、ガラケーに替えるべきであろう。そうしなければ、子供にスマホを使うなとは言えないだろう。
故に、スマホを親自身が捨てさえすれば、子供をスマホ中毒の害毒からしっかり守る事ができよう。(平成25年11月16日 記)
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記 橋本英樹
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