2014年4月11日金曜日

あと66日。寒くてあまり練習できませんでした (第49話)



あとコンクールまで66日だから、ルート66で。


平成264月10日(木)の話し。

 今日は晴れ。

 昨日は、夜遅くまで友人と痛飲した。今日はちょっとお疲れモード。

 最初はあらまさ そして、そのあと、近くのスペイン、イタリア居酒屋の地球防衛軍でちょっと飲んだ。

 すると、ここに、今年整形外科の医局(札幌医大)に入局した7人(うち女性2人)が、医局長と飲んでいた。研修医制度が始まって以来、大学の医局に入る若手の新人医師が激減し、大学、ならびに関連病院が人手不足を来たしているのは、ニュースで喧しいところであるから、皆、知っているだろう。

 私のころは、札幌医大100人の卒業生のうち、90人が札幌医大の医局に入局した。10人が、余所の大学に入局したり、内地の出身者は地元に帰ったりしたくらいであった。彼らが(我々が)、格好の良い言葉で言えば、北海道の通津浦々に医局から派遣され、北海道の医療を隈無く担っていたのである。

 私自身も、函館、浦河、余市、帯広に出張している。

 それが今や、卒業生のうち、40人くらいしか、出身大学の医局に残らないと言う。これでは北海道の医師も不足するはずである。
 かつては、医師が近い将来多いにあまり、自分らは、単純労働めいた、医師の仕事とはかけ離れた別な仕事をやらなくてはいけなくなる、と大真面目に語られていたものだ。

 人間は自分に甘いものである。どんなに格好の良いことを言ったって、楽なことしかしない。辛いことはしない。

 地方に出張、と言っても、なかなか大変だ。やはり医局の命令、教授命令ということでないと、なかなか出来ないものだ。
 自分も研究生活が終わり、学位を取り、そして、浦河町に地方出張を命じられたが、なかなか辛いものだ。札幌を離れる辛さとともに、全責任が自分にかかって来るのは、非常に辛いものだ。

 出張のお達しを受けて、ちょっと、モニョモニョと言い訳じみたことを言ったが、そのような事が聞き入られる訳でもない。まず、先輩方も皆そのようにやって来ているのだ。それを自分だけが違えるのはなかなか出来ない。

 でも、そのようにして、辛いことを乗り越えて、一歩一歩、成長できたのではないだろうかと今、思っている。というか、そうしないと、人間って、成長できないだろうさ。

 7人の若手も存分に診療に、研究に頑張って欲しいものだ。やはり医師と言うもの、診療だけではいけないと思う。我々はプロなのだ。診療は出来て当たり前なのだ。そのほかに、やはり研究などして、医学に対する考え方を深めて行かなくてはならないと思う。もちろん全員研究する必要はないが、最初から医局に入らず、研究の道を放棄してしまう人が、半数を超え、60%に迫るという現在の流れは、私の目から見たら「異常」である。

 若いのだから、もっと自分なりにいろいろやって、自分の可能性を追求したら良いのではないか、と思う。

 さて、ここを出て、最後に寒いので珍しいことであるが、南14条西14丁目の醤屋というラーメン屋でラーメンを食べた。けっこうディープな夜であった。体重は増えたろうな。健康には×(ぺけ)。

 漢字は、過去問の「読み」をやっている。「読み」は最高に時間がかかる。

 三線は昼に、練習。コンクールの曲。越城。たらくじ。仲筋ぬぬべーま。崎山節。しょんかねー。月ぬ真昼間 を練習した。とにかく唄い込み。30分くらい。


 そして、今日。木曜日。あとコンクールまで66日か。

 今日は半ドン。昨日、漢字があまり進まなかったので、昼で終業後、少し残って漢字をやった。切りのいい所で、K病院で往診。

 家に帰って、また、少し進めた。25年の2回目の過去問が終わった。今度は1回目に入る。

 1級の漢字は、漢字の形自体も難しいが、その意味が難しい。そしてその漢字が含まれる文章自体が非常に難しい。漢字の問題の出典は、漢籍や古典、あと明治期の文学作品から採られているものも多い。このような文章は文語調で難しいのである。
 「京都に旅行に行く」などの簡単なものはなかなか見当たらない。
 
 「腥羶(せいせん)の窟に 交臂(こうひ)抒情(じょじょう)せざるなり」とか「好言は口よりし、莠言も口よりす」とか、これは分かりやすいか、「恋愛は人生の秘鑰(ひやく、秘密を解く鍵のこと)なり」 など

上記の文の意味はこちら
 http://kanjifirst.blogspot.jp/2014/04/11.html

 なぜ、1級になると、このような難しいものから出題されるのであろう。

 それは、漢字の源流を探る、という観点から漢字を見ているからである。

 古代中国で、お祈りとか、占いで甲骨文字が作られ、そこから、だんだん形を変えて、今ある漢字が作られた。

 ある漢字があり、それを作った人がいるのである。そして、それが人々に使われた。当時は本もないし、印刷もできない。紙すらもない。竹を平べったく加工して、そこに彫ったのである。漢字を作ったは良いが、使われなくなり消滅したものも多くあろう。

 それでも残っているものは相当なものと見なければならない。それが漢字の源流なのだ。それを押さえる必要があるだろう。

 それには、まず中国古代の漢籍に当たる必要がある。説文解字という書物があり、これに、古代中国における漢字がいろいろ説明されている。歴史的な著作である。そのほかに、我々の良く知っている所では、孔子。論語。など。このあたりに漢字の大本があるのである。漢字そのものや、それを使った熟語などの最初のものがここにある。故にこのようなものを大事にするのである。

 その後も、漢字は発展した。李白、杜甫などの詩人。思想家。言うなれば彼らが文字を作っていった。

 日本にも渡り、日本では、我が国独特の「訓読み」が作られたが、これもあるとき、どこかの偉い人が「はい」と作って我々に示した訳ではない。

 主に作家が、自分の文学作品に訓読みを使って行った。もちろん漢字を組み合わせて熟語も作った。今は一つの漢字に訓読みは多くても3−5個であるが、黎明期には、10も20もあった。それが時代を経て洗練され今の訓読みになったのである。故にこれにも源流がある。枕草子、徒然草、源氏物語、古事記、日本書紀、や, 万葉集、古今和歌集などの歌であるが、このような文学作品の中で良いものが、時代の中で多くのものが淘汰され、あるものが残った。それが今の日本の漢字である。その源流を知るために古典からも出題されるのである。

 あと、明治期は時代の大きな変わり目で、西洋の文物を取り入れるため、多くの言葉、それは漢字の熟語が多かったがそれが生み出された。文学作品でも多くの言葉ができた。人民、裁判、共和国 などがそうであるが、その源流を探ることに目を向けさせるのが、1級の試験である。

 今日は、このような文章を解読しながら、20問ほど進んだか。辞書を引き、時にネットで調べ、意味を理解しそれをノートに書いて進んで行くのである。かなり地味な作業であるが、自分なりに楽しんでやっている。何か、えらく知識が付いたようで嬉しいのである。

 今日は夜に、車の中で越城を練習したが、寒いので、これだけで止めた。

 土曜日に岩見沢でお稽古の予定。明日、練習頑張るつもりである。





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